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広大な池には、無数の睡蓮が咲き乱れていた。そのどれも根はないが、枯れている花は一輪も無い。
「あら、又色が変わったわね」
そんな睡蓮を見ていた一人の女性は、そっと近くにある睡蓮に手を伸ばした。
青い色の睡蓮は、ゆっくりとだが淡いオレンジへと色を変えていく。
その先では、大輪の睡蓮が空気に溶けて消えていった———。
砂漠を容赦なく照らす陽の光に、げんなりし始めて随分経つ。
「……信じられない」
私はさすがにこらえきれずに、悪態をついた。
砂漠に入ってもうどれくらい経ったか、全くわからない。ただ、道を間違えたのだということに気づいたのはさっきのこと。
私の予定では、もう砂漠を抜けているはずだった。だから水も殆ど残っていないし、それどころか夜にでもなれば凍え死ぬんじゃないかな……と思っているくらいだ。
「……はぁ」
行き先の決まらない旅をしてもう長いし、正直道に迷うのも初めてのことじゃない。
命の危険にさらされたことだってあるけれど、それでも何とかここまできた。
けれど、今回ばかりはちょっと駄目かも……。
ここまでどうにか足を止めずに来たけれど、さすがに、足が止まった。マントで陽からは守られていても、暑さは体力を奪っていく。「……人?」
そんな砂と空しか見えない世界の中に、私は棒のような何かを見た。
それが人だと思ったのは直感……というより、この時の私の状態なら、縋りたいと思ってそう見えるのが自然だと思う。
ただ、声を出して助けを求めるほどの力はもう無くて、私は砂に膝をついた。
「!」
「あー、急に起きないほうがいいと思う」
私が目を開けた時、そこはもう砂漠じゃなかった。見知らぬ部屋の、見知らぬベッドの上だった。
私は声をかけてきた相手に目を向けた。知っている人じゃない。少し背の高い、男性だ。
「砂漠でぶっ倒れるのが見えたんだ。放っとくのもあれだから」
……なるほど、あの時私が見た相手は、この人だったみたいだ。私はゆっくりと体を起こした。
疲労からか少し体の節々が痛いけれど、旅慣れしているこの体は、すぐに落ち着いてくれるだろう。
「助けてくれてありがとう。……えっと」
「アニムスだ。よろしくな」
アニムスはそう言って、にっと軽く笑った。
長旅の中で、時々こういう『いい人』に会うことがある。それにすごく助けられている反面、ちょっとだけ申し訳ないと思う。
「一人旅なのか?」
「ええ……もうずっと」
「ずっと?」
アニムスが少し驚いた顔をしているけれど、正直慣れっこだった。女性の一人旅も珍しいのだろうけれど、それをずっと続けているというと、大体驚かれる。
「……回復したらすぐ旅に戻るのか?」
「戻るわ」
「行き先は?どこまで行くんだ?」
「……決めてない」
行くあてのない旅を始めたのは、もう随分前で私も覚えていない。会った人の数は多いし、行った町も数知れず。
もしかしたらどこかを探しているのかもしれないけれど、今のところ私が立ち止まろうとした場所はなかった。ここも、運び込まれて来ただけの場所で、立ち止まる場所じゃない。
「……なぁ、その旅俺も付いて行っていいか?」
「……はい?」
そんな私に、アニムスは急な提案をしてきた。アニムスとは本当に今会ったばかりで、この人がどんな人かもよく知らない。というよりも、なぜ急にそんな事を言ってきたのかわからない。
「……まぁ、いいけど」
ただ、こういう人は実は時々いる。となり町までとか、興味本位で付いてきて途中でいなくなる人とか。
そういうのも、旅が長いと慣れてくるもので……。
私は脱水症状が落ち着くまで町にいた。その間にアニムスとは少し会話をしたけれど、本当にとりとめのないことばかり。
とりあえずは悪い人でもなさそうだし、悪い人だとしても私は金品もさほど持っていないから……さほど問題はない。
体調が落ち着くと、私は町を後にした。一人ではなく、アニムスと。
アニムスは家族もいないし、一人で生活していたらしい。それは少しだけ私と似ているけれど、多分世界には何人もいて、別段珍しいことでも何でもない。
私は彼が、すぐに音を上げて町へ戻るろうと思っていた。ふわふわしているというか、物腰の柔らかい人だったからそう思ったのかもしれない。けれど……アニムスはずっと一緒にいた。殆ど話さない日もあったし、多少喧嘩したこともあったけれど……いつの間にか、一緒にいることが当たり前になっていた。
ただ、それは恋愛じゃない。そういうのじゃなくて……。
私はずっと誰かといたことなんかなくて、この感情の名前すら、わからなかった。
いくらか一緒に過ごしたある日の夜……。この日は野宿をした。星空の下で、狼よけに焚き火を焚いた前で私はアニムスに言った。
「……立ち止まるのが、怖いの」
アニムスは始め、何を言っているのかわからない様子だった。でも、その日の私は少しだけ誰かと話したい気分だった。
ずっと一人でいるからか、時々こういう日がある。自分の行動を誰かに肯定してほしいのかもしれない。わかって欲しいのかもしれない。……でも反対に、私の考え方を安易に分かったなんて言ってほしくないという我侭にも似た気持ちもある。
自分でも、時々自分が制御できない。こういう感情の浮き沈みは、どうしてあるのかな……。
「……どこに行きたいのかもよくわからないの。ただ」
「君はさ」
アニムスは、私の言葉を不意に切った。
「……君はさ、多分途中で出会うものとか、触れるものに意味を見出してるんじゃないかな」
アニムスの言葉に、私は目を丸くした。こんなことを言われたのは、初めてだった。
「……君は、それでいいんじゃないかな。そうやって、行けるところまで行ってみるといいと思う」
ただ、それからアニムスは少しだけ、私と距離を置くようになった。
私にはアニムスがどうしてそうなったのかわからなかったが、私たちの関係は、ほんの少し変わっていった。
そんなある日、私たちは久しぶりに町に来た。一晩過ごして、翌日には又旅へ出る。
バラバラの部屋をとって、いつものように眠りにつこうとした。けれど不意に、アニムスが部屋を訪れた。
「なぁ、時々休んでもいい。休んでもいいから……行けるところまで行けよ」
たったそれだけを言って、アニムスは部屋から出て行った。
私はなぜアニムスが急にそんな事を言ったのか全くわからなかった。ただ、もしかしたらそろそろアニムスも一緒に旅をするのが辛くなったのかなと、漠然とそんなことを考えていた程度だった。
だから、翌日私は本当に驚いた———。翌朝、アニムスは起きてこなかった。私は彼を起こしに行ったけれど、彼が目を開けることはなかった。
今思えば、軽いパニックだったと思う。宿の人に急いで話をして、医者を呼んでもらった。けれど告げられたのは、ごく単純な、私が知らなかっただけの事実だった。
「寿命だ」
「寿命? だって、アニムスはまだ若いわ!」
「寿命だよ。彼はそういう種族だ。彼の種族は30歳生きたら長寿だ。彼も自分の寿命を知っていただろう」
様々な種族がいることは、長旅をして私も知っていた。
私の様に100歳程度生きる種族に、150歳程生きる種族。それとは別に、50歳も生きることができない種族がいることは知っていたけれど……アニムスがその短命な種族だと、何故か私は思っていなかった。
「葬式はこちらであげよう」
呆然とする私に、医者は落ち着いた声で言った。
「旅の中ではこういうことがしばしばある」
旅人に呼ばれた医者は手際が良い。私は少しの間動けなかった。
多分悲しいと思っているのに、何故か涙の一つも出なかった。
しばらくの間、私は立ち止まった。
アニムスと最後に過ごしたこの町を出る気が起きなかった。
彼の死を受け入れることは出来ていたが、それ以外の感情をうまく整理できずにいたのかもしれない。
でも、不意に脳裏をよぎるアニムスの言葉に……私は足を動かした。
『行けるところまで』
ここは、まだ最終地点じゃない。
私はまだ、行ったことのない場所も、会ったことのない人も数えきれないほどある。
アニムスは彼の寿命を全うした。精一杯生きて、彼の旅を過ごした。だから、アニムスの死を理由になんかしちゃいけない。
……ここで立ち止まるのは、違う。
……まだ、行ける。
池の真ん中に咲く大輪の花が、又色を変える。
女性はそれを見て、優しく微笑んだ。
「あ! 女神様! こちらにいたんですか? 又『命の花』を?」
不意に精霊の一人が女性へ声をかけた。女性は呼ばれて長い服の裾をそっと揺らして振り向く。
「少し心配だった花があったの。でも、もう大丈夫よ」
色みを変えても、なお美しく咲き誇る花を見て、女神は満足そうに微笑んだ。

お噺…陸にゃご
校正編集…憂杞
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